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第4回『織田信長文書』を読み解く 

書いたつもりでいた先月の講座の話です(汗)。
したつもりでしなかったことが他にもあり、汗をかく機会が多い今日この頃です。

今回は永禄二年の信長の上洛、そして桶狭間の戦いがメインです。
とはいえ、両者ともに信長公記の講座でダブる話なのが悲しいところ(笑)。
桶狭間については第4回続編、上洛については第5回にそれぞれ詳しく書いてます。

今回講座を受けていて思ったことは、少数で大軍を破り、しかも今川義元の首を取ったわりには信長は戦果を誇示していないな。
これだけの起死回生の大戦果をあげれば、隣国諸方に書状をばらまきたくなると思うのですが、どうなのでしょうか。
のちに越前一向一揆を撃破した際や長篠の戦いで武田軍を破った時には、鼻高々な書状を送っていたのに。憎悪の敵だからなのか、単に書状を書かないといけない距離があるからなのか、さて。どうしてでしょう?
2016.11.16 Wed 20:54
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第3回「織田信長文書」を読み解く 

今回の題目は、弟信勝との抗争とその死、ですが、びびっとこず(汗)。
次回が桶狭間の戦いなので、嵐の前の静けさといったところ。

講座の内容とはちょっと違うんですが、信長の若い頃の話の史料として定光寺誌というものがあるのですが、
これはどこのお寺なのか気になってます。ちょこちょこ名前が出ていたので。
定光寺誌に限らず、引用元になる多くの一次史料二次史料の紹介本なんてあったら、面白いと思いました。
2016.10.06 Thu 21:20
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第2回「織田信長文書」を読み解く 

桶狭間の話題以外は、どうしても信長の尾張時代は地味になってしまいます。

今回はその中では有名な上総守です。
信長は上総守と名乗ったのですが、上総(現在の千葉県)は親王任国と呼ばれる特殊な国で、守はありません。
各国の官の順位は、守・介・掾・判で親王が守となる以上、下の者が同じ地位につくことは憚れるということで守はなく、介が一番えらい地位になります。ちなみにこのような親王任国は上総のほかに常陸と上野があります。

親王任国の始まりは、淳和天皇という子沢山の天皇からです。
子が大きくなれば、食い扶持が必要になります。朝廷の官につけて食い扶持を与えるのが基本ですが、それでは足らず仕方なく淳和天皇一代に限り三ヶ国を親王の食い扶持に充てることになったのです。
ところがこの制度は百五十年続き、結果、三ヶ国の守は名乗られることがなくなったわけです。

子沢山が信長の小さなミスを生んだわけです(笑)。
2016.09.06 Tue 01:03
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第1回「織田信長文書」を読み解く 

さて今回から再び信長に戻っての講座になります。
信長公記メインの話だった講座と色を変えて、文書メインとなります。

とはいえ第1回は尾張在国時代の最初の最初とあって、こう興味津々となるものはなかったです(汗)。
信長公記と被る部分があると思うので、文書メインでどう特色がでてくるのか、これから楽しみです。

2016.08.02 Tue 21:23
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第18回『天正記』を読む 

書きたいことは多々あれど、暑さで気力がでない今日この頃です。

さて、今回は天正記を読むの最終回、といっても天正記についてではなく、石谷家文書についてです。
以前にも書いた気がしますが、この石谷家文書で本能寺の変の真実が明らかになったわけではないんですね。ただし、本能寺の変以上に大きな影響を与えたのが、軍記物である南海通記への評価です。

南海通記は四国の戦国時代について江戸時代に書かれたものです。
四国の戦国大名はことごとく没落したため、一次史料が少なく、歴史研究は後世の軍記物に頼らざるをえない状況にありました。とはいえ、軍記物の信頼度は低く見られていました。
軍記物の記述を使うには、ほかの史料と比べて信用できるかどうか確認しなければなりません。
ここで問題となるのが、軍記物のみの記述の場合です。
南海通記には、天正十年正月に信長と長宗我部元親のやりとりがあったとあります。しかし、これがほかの史料にはない。
ところが、今回の石谷家文書でこの記述が裏付けられます。
後世の軍記物だけにあった記述が、です。
これによって南海通記の記述に対する信用度が上がったわけです。
かといってほかの部分まで素直に信用できるかといえば、それはまた別の話。
なんとも難しい話です(汗)。

2016.07.05 Tue 23:04
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