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室町最後の将軍 

安土城考古博物館での『室町最後の将軍-足利義昭と織田信長』の2回の講演会に行ってきました。

「足利義昭政権と織田信長」久野雅司氏
「流浪の将軍-鞆公方義昭と毛利氏」長谷川博史氏

博物館の展示に合わせた講演会でしたが、2回とも参加者の人の多いこと、博物館の会場は満員。電車の時間の関係で早い到着もすでに列が出来ているほどでした。

「足利義昭と織田信長」
そもそも信長の傀儡義昭とイメージしますが、ついつい信長・義昭の人間関係に焦点がいき、義昭が再興した幕府には目がいっていませんでした。今回の講演会では、この点がとくに勉強になりました。
義昭政権の確認しうる幕府構成員の半数は、兄義輝時代からの幕臣が継続しており、また独自に奉行人奉書を発給していたとのことです。
中でも、管領や副将軍を拒絶して幕府に組み込まれず、独自の政権運営を目指していた信長(織田家)のイメージから、義昭政権を傀儡・無視でもしていたと思っていた関係も、双方の奉行人同士の連絡・相互の命令確認など補完的な関係にあったことには驚きでした。
質問しそびれたことがあります。それは従来からの幕臣ではなく新参の幕臣についてです。
新参幕臣がいわざ義昭政権の特色であり、また義昭・信長の対立理由にあげられていた京都における義昭失政(十七カ条の異見書)につながるような気がするからです。

「流浪の将軍-鞆公方義昭と毛利氏」
毛利氏の視点から将軍義昭を見るというものでした。
鞆に移座した義昭は、毛利氏に信長追討を命じ、鞆幕府(自身や随従した幕臣)の経済的負担を求め、また諸大名に御内書を出して信長包囲網をつくります。
この講演会で驚いたのは、義昭の毛利氏家中への栄典授与がまったく家中秩序に生かされていないとのことです。どうしてこんな人物にこれほどの栄典があって、この人物にはこの程度?といった具合らしいです。経済的負担の度合いに応じたものだとしても、家中秩序に利用しない手はないと思いますが、確かに理由が分かりません。また安芸郡山城の毛利輝元が鞆に、あるいは鞆の義昭が安芸郡山城に行った様子もなく、毛利氏と義昭の間に距離感が存在したとのことです。

いつかは、義昭主人公で一作を!(笑)と改めて思った2回の講演会でした。

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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2010.11.20 Sat 19:49
カテゴリ: 講座・講演
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