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「信長公記を読み解く」第13回 

桐野作人氏の講座に行ってきました。
この講座も第3シーズンとなり、元亀騒乱が舞台となります。
今回は、姉川合戦がメインです。

姉川合戦までのタイムテーブルは、

6月19日
浅井氏の家臣堀・樋口の寝返りを受け、信長が岐阜を出陣。たけくらべ・かりやすの両城を接収。
6月21日
織田軍、浅井氏の居城小谷城に攻め寄せ、信長は虎御前山に布陣。
6月22日
織田軍、小谷表から撤退。佐々成政らの殿軍が活躍。
小谷城の南、横山城を包囲する。
6月24日
信長は龍ヶ鼻に布陣。家康が着陣。
~~
援軍の朝倉軍が到着。大依山に浅井軍とともに布陣。
~~
6月27日
朝倉・浅井連合軍陣払い。
6月28日
姉川合戦。

の流れになります。
今回の講座で驚いたことは、姉川合戦(浅井氏攻め)に将軍の足利義昭も出陣する予定だったことです。
実際、姉川合戦後の野田・福島の戦いには義昭も出陣しているので、話を聞いて、確かに、と思いました。

その典拠は、何度もお世話になっている言継卿記からです。
六月十九日条の
明日武家(将軍)江州へ御動座延引云々、摂州池田内破云々、其外尚別心之衆出来之由風聞、又阿州讃州之衆三好三人衆、明日可出張之由注進共有之云々
また同月二十日条の
「~中略~、次上野中務大輔、五百計、細川兵部大輔(藤孝)、二百計、一色紀伊守、織田三郎五郎、百余、都合二千計、山崎迄打廻云々、

十九日条から、将軍義昭が二十日近江出陣の予定だったのが、摂津の池田(勝正、池田城主)で内紛がおき、さらに四国の三好三人衆の出陣も聞こえたため、延期となったとあります。また摂津の状況に備えるためか、出陣予定日の翌日、細川藤孝や信長の庶兄信広ら二千の兵が山崎に出陣しています。


しかもこの義昭の出陣は、湖西をまわって北から浅井氏を攻める予定だったとの説があるとのこと。詳しくお聞きしたかったのですが、残念ながら次回での楽しみになりました。
ただ愚考するに、湖西周りの浅井氏挟撃の効果について疑問があります。
琵琶湖一周の記事にも書きましたが、湖北は山がちな地形です。これでは進退が難しく、かつ朝倉氏が北に控えていて、横っ腹あるいは背後を襲われかねません。また京都の義昭の下に十分な兵がいたかも疑わしく(山崎に出張った兵から考えてもせいぜい五千程度か?)、将軍が挟撃の一手を担うとは思えません。あるいは池田氏などの摂津衆や河内の三好義継、大和の松永久秀が従軍するのか?とも考えられますが、素直に信長との合流が妥当じゃないかなと考えます。

ただ、この挟撃説が実施されていたなら、姉川合戦は劇的に変わったと思います。
恐らく信長が小谷表から撤退した22日段階ではまだ義昭も到着しておらず(23日ぐらいか)、義昭着陣すぐの撤退も考えられません。両者の援軍、徳川軍や朝倉軍の到着となり、小谷表での対陣という事態になり、姉川合戦不発の可能性もあります。
こうなると、三好三人衆の出陣はともかく、なんとも思っていなかった摂津の国人池田氏の内紛の影響というのを考えさせられます。なによりIFの勉強にもなります(笑)。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2010.07.25 Sun 15:25
カテゴリ: 講座・講演
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