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「信長公記を読み解く」第12回 

桐野作人氏の講座に行ってきました。
先月(5月)も行っているのですが、小説にかかりきりでブログに書く気力がございませんでした(汗)。

今回は有名な金ヶ崎の退き口です。
若狭の武藤氏が悪逆を企んだとして、織田信長が大兵を率いて若狭に出兵するも、実際は越前の朝倉義景が目的で越前敦賀に攻め入った。ところが同盟相手だった浅井長政が裏切ったことが分かり、信長は京都に逃げ帰った。
あらすじはこんなところです。
有名なのでこれは!という大きな発見はなかったのですが、講座の中で桐野氏も話されていましたが、どうして朝倉攻めが行われ、どうして浅井長政が裏切ったのか、はっきりとした理由は分かっていません。

私は特に前者の方、どうして朝倉攻めが行われたのかが気になりました。
信長の拡張主義と言ってしまえば一言なのですが、この時点で信長と朝倉氏が戦をするほどの理由があったのか?あるいは理由というより、きっかけです。
美濃稲葉山城攻めでは西美濃三人衆の離反がきっかけになりました。
伊勢の北畠氏を攻めた時は、北畠氏の一族の木造氏の離反がきっかけでした。
後の武田氏攻めの時は信濃の木曽氏の離反が始まりでした。
しかし朝倉氏の場合、滅亡時はともかくこの時点で離反者は出ていません。何を好機として信長が動いたのかが分からないのです。
足利義昭の上洛については共闘体制だったのが、信長の著しい台頭で関係がぎくしゃくしていたのは理解できますし、上洛要求に義景が応えなかったのを理由にというのも納得はできますが、朝倉攻めのきっかけはなんだったのか?
興味は尽きません。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2010.07.03 Sat 15:48
カテゴリ: 講座・講演
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