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「信長公記を読み解く」第8回 

桐野作人氏の講座に行ってきました。
前回はえらく間をあけてしまったので、今回はその日のうちに書きます(笑)。

今回の題材は、足利義昭の将軍宣下についてです。
義昭は、永禄八年七月に興福寺一乗院から脱出して後、翌年二月に還俗して義秋と名乗り、同年四月に従五位下左馬頭に叙任され、近江から若狭経由で越前に逃れます。十一年に元服して義昭と改名。
同年九月に信長により上洛。同年十月に征夷代将軍、従四位下参議、左近衛権中将に叙任されます。さらに翌年六月には、従二位権大納言になります。

従五位下・左馬頭→近衛中将・参議→征夷大将軍・権大納言のプロセスは、足利尊氏にならう、足利将軍の官位のプロセスだそうです。

それを考えると、朝廷も京都を牛耳る三好一党に唯々諾々だったわけではないような気がします。
なぜかと言うと、三好一党が擁する義栄の従五位下・左馬頭の叙任は永禄九年十二月(『戦国人名事典』)と義昭よりも遅く、将軍宣下も永禄十一年の二月です。朝廷は義栄の将軍宣下を伸ばし、一方で還俗した義昭にはプロセスの一歩目である従四位下・左馬頭にすばやく任じるなど、やはり三好一党の将軍暗殺に対する忌避感というものが強かったのかな、と思います。

本来なら矢銭についての話もあったのですが、将軍の話で時間を迎えてしまいました。この矢銭には興味津々です。戦国時代の貨幣経済というか物価というものに興味あるので次回の楽しみです。次回のメインは、三好一党の逆襲・本圀寺の戦いです。

またこの「信長公記を読み解く」とは別に、四月から「戦国時代の手紙を読む」(でよかったな?)という新しい講座が始まるそうです。武将だけでなく、茶人や坊さんまで幅広く戦国時代の手紙について紹介する講座になるようで、今から楽しみです。同じ日に開催されるので連続して受けられるのも便利で助かります(笑)。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2010.02.26 Fri 00:28
カテゴリ: 講座・講演
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??SPIRITS 緯

о??????Ū??? ?【2010/03/21 11:40】

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