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小西行長 

最近ハマっているのが武将の資料収集です。

先日の神田古本まつりで『歴史群像No17』を買った折、小西行長の記事(佐島顕子 著)を読んで小西行長に興味を刺激されたのが切っ掛けで、いろいろ調べています。
小西行長といえば、キリシタン武将、文禄・慶長の役での和平交渉、関ヶ原の戦いと浮かびますが、実際のところはどうだったのか?との疑問解消を目指し、小西行長関係の本などいろいろ収集読書。
以下、その戦果は、

秀吉の国内統一過程における小西行長』 国重顕子 鎖国日本と国際交流上巻掲載
小西行長、文禄慶長の役関係日表』 鶴田倉造 宇土市史研究第十四号掲載
小西行長基礎資料集』 宇土市史研究第二十六号
小西行長伝』 木村紀八郎

『秀吉』では、小西行長が水軍を率いての働き、塩飽諸島や小豆島などの瀬戸内海東部の要衝支配、さらに九州西部(肥前沿岸)の諸大名の取次、等の行長行動が分かり、とくに朝鮮出兵で行長と行動とともにした諸大名との関係が取次を経てのものだと知りました。また、寺沢正成(唐津城主・長崎奉行)との関わりも。
『基礎資料集』は、一冊丸ごと小西行長関係資料と、行長調べるなら垂涎物の一品。値段も1200円と手ごろな価格で文句なし(笑)。行長関係の書状が多く載せられているので、行長と関係する人物が分かります。あと宇土軍記なる軍記物もあり、関ヶ原合戦後に起こった宇土城攻防戦が書かれています。信憑性はどうなんでしょうね。

ほかにも在庫の『日本切支丹宗門史』(レオン・パジェス)や『フロイス日本史』などの行長関係のところを読みました。
とくに『宗門史』では、関ヶ原の戦い後、広島に逃れた行長の息子が後難を恐れた輝元に殺されたのが哀れでした。家康も憤慨したとあるほどです。キリシタン関係の資料から行長の家臣団の一端が分かったのも貴重な戦果。
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テーマ: 本の紹介
ジャンル: 小説・文学

2009.11.23 Mon 20:05
カテゴリ: 本・資料
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« 「信長公記を読み解く」第5回

「信長公記を読み解く」第4回続編 »

コメント

この間
ご無沙汰しております。
先日、『織田戦国志』第2巻でコメントさせていただいたダイです。

小西行長の家臣が毛利輝元に殺されたくだりに反応しました。
なんてマニアックな。

輝元は不思議ちゃんというか、冷たいというか。意外?に家臣などを殺した系のエピソードが多い気が。
大坂の陣でも家臣(名前忘れました…)を大坂に送っといて、いざ豊臣が負けると、その家臣の兄もろとも、処刑していますよね。
近衛龍春さんの『毛利は残った』では、輝元が毛利秀元にこの件でこっぴどく叱られているシーンがありました。
戦国の世を生き残るためと言われれば、それはそうなのでしょうが、変わり者だという思いを禁じ得ません。
そういや、家臣の妻を寝取って、旦那を殺した話もありました…けっこう無茶苦茶ですね…
【2009/11/24 20:42】
URL | ダイ #-[ 編集 ]
コメント返信
ダイさん、こんにちは。

行長の息子ですね。三成の息子でさえ仏門にはいったことで生き永らえましたから、もし生き延びていたら、小西家の史料ももう少し残っていたのじゃないかなと思います。

毛利輝元、たしかに凡愚とのイメージとは裏腹に、なかなかアコギなことしていますよね~。
以前紹介した「関ヶ原前夜」という本で、輝元の積極性が論じられていたのでなおさらに感じます。
それを考えると、今年の大河の輝元役に中尾彬さんだったのはなかなかの人選だったのかなと思います。アクがありますからね。まあ、見ていないのであれですが(汗)。
輝元・毛利家については、元就死後から本能寺の変までの動向に興味があります。
この時代って穴になっている気がするので。
【2009/11/25 17:39】
URL | 尾山晴紀 #5Z3bxbvs[ 編集 ]
毛利家
お返事,ありがとうございます。

「小西行長の家臣」でなくて「息子」でしたね。失礼しました。

元就死後から本能寺の変にかけての毛利家といえば,
 ・足利義昭を引き取って振り回された
 ・尼子の残党を上月城で破り,山中鹿之助を斬った
 ・木津川口で一度は九鬼を破り,次は敗北した
 ・秀吉の調略で宇喜多家に寝返られた
 ・鳥取城の飢え殺し
くらいですかね。思いつくままに挙げてみましたが,いろいろあるような,でも詳しく分かっていないことも多いような。

毛利家といえば,先年世界文化遺産に指定された「石見銀山」が気になります。毛利家の時代の石見銀山です。世界の約3分の1の銀が日本産と言われた時代に,毛利家が日本トップクラスの銀鉱を支配していたわけですから。

今年の大河ドラマで中尾彬さんが毛利輝元を演じていたのを少しだけ見ましたが,松方弘樹演じる家康に劣らない存在感があったと思います。
でも,「大河ドラマ」「中尾彬」となると,96年の「秀吉」の柴田勝家なんですよね。私の中では。その頃,ちょうど高校生でした。
【2009/11/25 23:59】
URL | ダイ #-[ 編集 ]
Re: 毛利家
ダイさんへ

そうなんですよね。知っているようで知らない。
尼子残党でいえば上月城の前に一度出雲に侵入した件。輝元時代の大友氏との抗争。中国計略における備中三村氏や浦上・宇喜多氏との関係、伊予河野氏との関係。
なんというか織田とのガチンコ対決以外のを調べてみたいと思っています。

石見銀山、良いですね~。
織豊政権での織田・豊臣の経済政策とかはよく取り上げられますが、毛利氏はどうだったんでしょうかね。
これも気になります(笑)。
【2009/11/28 02:06】
URL | 尾山晴紀 #5Z3bxbvs[ 編集 ]

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