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「直江兼続と石田三成の共闘」北近江歴史大学 第2回 

滋賀県木ノ本に、桐野作人先生の講演会に行ってきました。

出発の時点では晴天だったのが、滋賀県に入ってからはザーザー振り。
傘を忘れたことを悔みました(泣)。
余裕をもって木ノ本に到着したので、小雨になったところで近くの地蔵院にお参り。目にご利益があるとのこと。この仕事は目が命ですからね。

会場の木ノ本町スティックホールは、駅から5分という近場でどうにかずぶぬれにならずに済みました。こんな天気ながら大勢の人。

さて、講演内容は兼続と三成の共闘について。
これは以前の名古屋での関ヶ原についての講座と被るので、正直、聞いたことばかりになるかなと思っていましたが、いやいや、行った甲斐がありました。

中でも気に入った(上から目線ですいません)のは、
第一に書状から見る景勝の覇気と第二に内府違いの条々ではない三成の宣戦布告文です。

景勝の書状とは天正十年の佐竹義重宛のものと慶長五年の家臣宛のものです。
天正のものは、「越後一国で大敵(信長)を相手にする俺スゲー。日本中の憧れの的だゼ!」
慶長のものは、「戦の時間だ。俺の決断に不服なら出ってもいいぜ。そんな奴イラネ」
以上意訳です。
無口な景勝像が一変しました。ここまでやんちゃとは思いませんでした。

三成の宣戦布告文とは、内府違いの条々と思われがちですが(自分も思ってました)、これこそ宣戦布告文だとの桐野先生の意見に納得のものです。
歴代古案 一五三七 19‐12 石田三成・増田長盛連署條目
内容的には条々とそう変わらないのですが、その表現が条々に比べて過激過激。
条々は内府としているのが家康と呼び捨て、逆心至極、秀頼の世を奪わんとしていると断定し、今除かねば後日の災いになると結んでいます。
内府違いの条々が公式声明なら、これが本音表現とでもいうべきものでしょうか。

講演後、桐野先生のサイン会があったので並びました。
名古屋の講座で顔を覚えて頂いていたようで、さらにこのブログ主であることにも気付かれました(笑)。

帰りの電車の時間からちょっと余呉(木ノ本の次の駅)に行きました。
トンボ帰りで3分ほどしか駅にいませんでしたが、賎ヶ岳の戦いの古戦場を一望できる場所にあって、余呉湖の美しさや霧のかかった岩崎山や大岩山などの景色を堪能しました。

次回第3回は九月に開催され、直江状についての講演らしいです。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2009.07.26 Sun 22:15
カテゴリ: 講座・講演
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