07/ 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31./09

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- --:--
カテゴリ: スポンサー広告
comment -- | trackback -- | 記事編集

PAGE TOP

第8回『織田信長文書』を読み解く 

今回の講座は、永禄九年(1566)の信長の上洛計画とその頓挫についてです。

将軍を目指す足利義昭は、各地の大名に上洛を求めて工作を活発にします。
その中で信長がいち早く反応します。
結果、当時信長と抗争をしていた美濃の斉藤氏との間で、矢止め、和平工作が義昭によって行われます。ところが!
永禄九年閏八月十八日付の甲斐国某宛、氏家直元等連署状によれば
去月廿九日織上(織田上総介=信長)当国境目へ出張候
とあります。義昭の矢止めで和平したのに、信長は美濃へ兵をだしたわけです。斉藤氏側の宣伝(織田が悪い)かとも思うのですが、同月廿六日付足利義秋(義昭)御内書では、
就尾州矢止儀、人質事同心感悦処、信長乱入儀驚入候、雖然尚参洛之事対尾張守(信長)申遣之間、最善之筋目無相違様令馳走者可為神妙、猶信恵可申候也
と義昭側でも信長の行動に驚いています。と同時にまだ和平工作の続行、信長の上洛を諦めてません。また斉藤氏は人質についても前向きな返答を義昭にしていることには驚きです。どうしても、上洛話となると義昭と信長といった、二者の外交にばかり目がいきますが、なかなかその周囲の外交もまた興味深いものです。
スポンサーサイト
2017.03.09 Thu 23:53
カテゴリ: 講座・講演
comment(0) | trackback(0) | 記事編集

PAGE TOP

« さよなら青春

第4回三国志徒然列伝 呉景 »

コメント

PAGE TOP

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

PAGE TOP

トラックバック

トラックバックURL
→http://isekoku.blog79.fc2.com/tb.php/269-4c39eb37
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

PAGE TOP

 | h o m e | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。