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第3回三国志徒然列伝 呉夫人 

久しぶりの三国志徒然列伝です(大汗)。

今回は呉夫人について。
孫堅の奥さんで、孫策・孫権らの母親にあたります。
呉の生まれでのちに銭唐の地に移ります。早くに父母を亡くし、弟の呉景と暮らしていました。
孫堅伝には、孫堅の武勇伝として十七歳の時の海賊退治の話があります。
父親とともに船で向かっていたのがこの銭唐でした。
孫堅は才色兼備で名高い呉夫人に求婚しますが、風聞悪い孫堅を親戚が嫌い、断ろうとします。これに孫堅は怒りますが、呉夫人は女一人のことで恨みを買う必要はない、と求婚を受け入れます。
そして四男一女を生むことになります。
伝では建安七年(202)に亡くなるのですが、建安十二年に亡くなったと注を書いた裴松之は断言しています。
ちなみに孫堅が初平四年(193)に37歳で亡くなったとあるので、同年代と考えて50歳前後で亡くなったのかなと思います。

呉夫人の逸話として、孫策への諫言があります。
孫策が江南を制覇した頃、魏謄という家臣が孫策の気持ちに逆らったため処刑されかけます。他の者たちは心配しますが、恐れてなにもできずにいました。
その話を聞いた呉夫人は井戸の縁に身を置くと、
「江南の経営を始めたばかりで人物を礼遇しなければならない。それなのに職務に励む魏謄殿を殺せば、明日には皆が背を向けることになる。禍がお前に降りかかるのは見たくない。その前に井戸に身を投げる」
と、まあ脅迫したわけです(笑)。
これは小覇王と呼ばれた孫策も勝てず、魏謄を釈放しました。
孫策亡き後、若くして継いだ孫権にも、助言をし、その益は大きかったとあります。少しきになるのは、行政はともかく軍事にも助言したとあることです。さて、これは?

次回は、呉夫人の弟の呉景について。この人とその子孫の話は、まあ、あれですね。
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2017.01.20 Fri 00:10
カテゴリ: 三国志
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