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第2回三国志徒然列伝 董卓2 

今回は董卓の続きです。
前回長々と書いたので今回は短いのをと思っていたら、董卓とその周辺について書きたくなりました。

さて董卓は初平三年(192)に王允・呂布によって暗殺され、董卓が本拠とした長安近郊の郿でその一族は殺されました。
この時、董卓は何歳だったか?
生年がわかっていないため、正確な齢は不明です。
皮肉にも董卓の近親者で齢が書かれている人がいます。
一人は董卓の老母で、郿で殺された時に90才。当時にあって凄い長寿です。また董卓の孫娘(董白)が15になっていないのに領地を与えられたとあります。
老母が90才なら、董卓は70前後と思われます。ざっと60から75といったところでしょうか。
脂ぎった太った中年男というイメージとかけ離れています。老境も老境の人物です。
とはいえ、また別のエピソードから枯れた老人とも思えません。
董卓の横暴に反感を抱いた伍孚という人物が、刃物を隠し、董卓と会談しました。会談後、門まで見送りに出た董卓を刺すのですが、剛力の董卓はうしろにさがって刃物を抜いたというのです。董卓は伍孚を難詰し、これに伍孚は董卓を弾劾、殺されます。
このエピソードから分かるのは二つ。
刺されてもぴんぴんしている董卓の強さ、そしてわざわざ伍孚を門にまで見送りにでているところです。残酷な面ばかりが強調されているにしては礼儀があるというか・・・。

董卓の周辺の人物を紹介すると、先述の老母と孫娘董白。
董卓は三兄弟の二男で、長男は若くに亡くなっています。弟は董旻(トウビン)といい左将軍になり、また兄の子董璜(トウコウ)は侍中・中軍校尉に、女婿の牛輔は中朗将となっています。
弟・甥・女婿はいても、董卓には息子はいなかったようです。ただ側室にまだ歩けない赤子がいたとあるので、もしかしたらそれが董卓にとっての男子かもしれません。
董旻・董璜らは郿において、彼らの家族もろとも殺されましたが、出征していた牛輔だけは難を逃れました。
この時、牛輔は陝に駐屯していました。
陝という場所は、洛陽の南南東50kmほど、豫州潁川郡に入ったあたりにあります。
牛輔は陝から李催・郭汜・張済らを派遣して、豫州潁川・隣の兗州陳留の諸県の攻略をしていました。
董卓を倒した王允・呂布は、牛輔を討伐しようとしますが失敗。しかし、牛輔は軍勢の混乱を制御しきれず、逃げ出し、部下に裏切られて殺されます。ここに董卓の縁戚一族は表舞台から消えます。代わって李催・郭汜が出てくるわけです。

それにしても、初平元年(190)に長安遷都後、董卓の勢力は完全に長安に引きこもっていたと思っていましたが、なんと反撃に出ていたのには驚きました。
董卓暗殺がなかった場合、私たちの知っている群雄割拠の戦いもどうなっていたか。
豫州・兗州の西部、荊州北部に董卓の勢力が進出した場合、曹操の台頭、袁術と劉表の対立、孫堅の死、袁術の没落(寿春への逃亡)などガラリと変わるはずです。

うーん、想像が膨らみます(笑)。
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2016.10.28 Fri 00:00
カテゴリ: 三国志
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