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第15回『天正記』を読む 

今回の講座は聚楽第行幸記の2回目と関白秀次事件についてです。

となれば今回のメインは無論秀次になります。
文禄四年七月、関白秀次が突如として謀反を企てたとして失脚。高野山に追放され、まもなく自害に追い込まれます。さらに秀次の妻子ら三十人余りが三条河原で処刑。秀次に近かった大名たちも追放や自害など、多くが連座しています。

まあ、先年生まれた秀頼の存在が大きく、秀吉が邪魔者の秀次を排除したとの説が一般的で、謀反の話は眉唾もの扱いです。
また一方では秀次には多くの残虐な行いがあったとされ、殺生関白と呼ばれた話もあります。正直、この話も失脚した秀次を悪く言うためのものと思っていたのですが、どうやらそうでもないらしいです。
太田牛一の「太閤さま軍記のうち」には関白秀次の乱行として、農民を弓矢の稽古に射ち殺した、試し切りした、など数百人を殺したとあります。ただまあ、信長公記とはちがって軍記は秀吉上げがどぎついところがありますので?が付きます。
しかし、秀吉上げとは関係ない史料にもこのような話がありました。
イエズス会の日本報告集です。
ルイス・フロイスの1595年10月付には、
この少壮の関白殿は優れた才能を有し、気前のよい人で多くの資質を備え、機敏、怜悧、かつ稀にみる賢明さの持ち主であり、特に親切で、その他にも多くの優れた徳を備えていた
と秀次を評価する一方、
しかし、関白殿には唯一つ、著しい汚点があった。それはあまりにも忌むべき悪徳であったから、立派な美点とかあるいは修行によって身につけたあらゆる長所を少なからず被い隠し害してしまった。そしてこの悪徳が原因となって、日本全土に大いなる邪悪と弊害が起こることは避けられなくなっていた
と書いています。その唯一つの著しい汚点の説明が長々と続きます。一言で言えば、平気で残虐に人を殺せるということです。
また、秀次と秀吉の関係悪化の原因として、
1.関白を譲りながら秀吉が実権を握っていることによる両者の確執
2・唐入り(朝鮮出兵)の戦後体制における秀次の立場(中国の関白)への不安
3・秀頼の存在
と書いています。
1と3は分かりますが、2は新鮮でした。
確かにまあ、日本を離れて中国に行ってこいとなったら、追放する気かとか、これからの人生どうなるんだろうと不安に思います。

秀次はキリスト教に寛大だったようで、フロイスも書いています。のちに弾圧したわけでもないので、宗教的背景から悪く書く必要はないと思います。

秀次の殺生関白の呼び名は、秀吉側のねつ造と断定できないようです。
正直、小説のメインキャストとして書いた身としてはさみしいかぎり(涙)。
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2016.03.31 Thu 21:39
カテゴリ: 講座・講演
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