09/ 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31./11

第9回『天正記』を読み解く 

今回の講座は柴田合戦記の最後になります。北庄城落城と勝家・市の自害です。

とはいえこれだけ有名な話なので、やはりここはちょっとちがったところに目がいきます。
それは勝家の息子です。
権六と呼ばれた彼はイエズス会日本報告集Ⅲ-6にて、
柴田の唯一人いた嫡子も同様(佐久間盛政と)に捕えられた。彼は才能豊かな十六歳の少年で、信長は娘を彼と結婚させることを望んでいた
とあります。フロイスは権六を誉めています。この背景には賤ヶ岳の戦いの一昨年(天正九年)にフロイスが越前を訪問した折、権六から歓待を受けたことがあります。
十六といえば元服、初陣を済ませていた可能性も高いとなると、賤ヶ岳に参戦していたのかもしれません。敗戦のどさくさで勝家と別行動となり、北庄城に入ることができなかった。あるいは北庄城に入ったが、再起のために脱出したか。
それにしても信長の重臣達はそれぞれ有名・有能ですが、彼らの息子たちはろくな目にあってません。勝家の息子は名前もろくに知られてませんし、滝川一益や明智光秀の息子も同様、丹羽長秀ぐらいでしょうか、一番ましなのは。

もし本能寺の変なく、信長・信忠と織田政権が続いた場合、重臣世代はともかく彼らの息子世代はどのような立場や運命をたどることになるのか。気になります。
スポンサーサイト
2015.10.11 Sun 21:09
カテゴリ: 講座・講演
comment(0) | trackback(0) | 記事編集

PAGE TOP

« 第10回『天正記』を読む

第8回『天正記』を読む »

コメント

PAGE TOP

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

PAGE TOP

トラックバック

トラックバックURL
→http://isekoku.blog79.fc2.com/tb.php/241-c0dca1f7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

PAGE TOP

 | h o m e |