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第2回『天正記』を読む 

久しぶりです。ブログのパスワードをど忘れしてしまい、書くに書けませんでした(汗)。

さて第2回では前回の続き播磨別所記の終幕、三木城の降伏についてがメインです。
長い籠城戦の末、別所長治らの切腹で城兵が助命される結末には、なかなか考えさせるものがあります。
但し、当主長治と弟友之は従容と自害して果てたのですが、織田家との手切りを主導したとされるおじの別所山城守はそうではありません。どうやら自害したあとに首を晒されるのを嫌い、城に火を放って死骸を隠すべし、と主張したところ城兵に殺されたようです。山城守の気持ちも分からないではありませんが、なんとも締りの悪い結末です。

今回の講座でのポイントは、三木城における守備の体勢です。
三木城の守りの要所に、城の南側・鷹の尾と呼ばれる場所があります。この場所の大将が問題なのです。
播磨別所記では弟友之、信長公記ではおじ山城守となっています。
史料価値が高い二次史料ですが、ここは一次史料の秀吉書状の登場です。
天正八年正月十四日付け赤佐左衛門尉宛書状
一、同(天正八年正月)十一日午刻ニ、三木本城と堀一重ニ候鷺山と申構乗崩、并別所彦進(友之)城、同山城守居城乗破、是又数多討捕候、山城構ヘハ小一郎(秀長)入置申候、同彦進城鷹之尾と申ニ我等令入城候事
とあり、鷹之尾の守りは友之が担っていたことがわかります。また攻め落としたあとでは、鷹之尾には秀吉が、山城守がいたところには秀長が入っていることがわかります。

何気なく通り過ぎてしまうところですが、名前違いで三木城攻めの一端に触れた気がします。

ちなみに名古屋市博物館から「豊臣秀吉文書集」の第1巻が今年1月に発売されています。
第1巻は織田家時代から賤ガ岳の戦いのある天正十一年までの書状が載せられています。なかなか読み応えのある内容なので、一度図書館で手にとってみられるとよいと思います。
続刊については1年に1巻とのこと。早く続きが読みたくなります(汗)。
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2015.03.19 Thu 01:44
カテゴリ: 講座・講演
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