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第63回『信長公記』を読み解く 

最近忙しくブログもろくにかけない日々です(汗)。
さて、今回の講座で一番面白かったところは筒井順慶の右往左往です。
本能寺の順慶といえば洞ヶ峠が有名です。明智光秀と羽柴秀吉を両天秤にかけて洞ヶ峠で戦況を見ていたというものですが、実際は洞ヶ峠に布陣していなかったことも知られています。
では実際、順慶はどうしていたのか?
奈良の多聞院日記には、本能寺の変における順慶の動きや噂などが書かれています。

六月 四日:順慶配下の南方衆(南大和の国人衆)などが光秀の味方に出立した云々。
    五日:昨日山城国に出陣した人数が早くも戻ってきた。信孝と手を合わせたか?云々。
       :大坂で津田信澄が信孝らに討たれる。
       :伊賀国の信雄家臣が城から逃げ出す。牢人衆が入る云々。
       :近江国の安土・佐和山・長浜に明智軍が入る。
       :山城国から戻った人数は近江に移動した。光秀の一味になるか云々。
    九日:筒井勢が河内国に出陣するとの話だったところ、急に延期となる。郡山城に兵糧が搬入される。
    十日:先日山城国にでた筒井勢が帰ってきた。秀吉が上洛してくるとのこと。
   十四日:昨日光秀からの使者藤田伝伍が来るも、順慶同心せず。藤田が木津まで行ったところ呼び戻される。
       :順慶はすでに秀吉に誓詞をだしたと云々。

文字通り、順慶は右往左往しています。
光秀に味方しようと兵をだしたかと思えば引き換えし、味方しようと兵を出そうとすれば延期し、光秀からの使者を返したと思えば呼び返し、と多聞院日記でも呆れると書かれています(笑)。
腰の定まらない笑い話ですが、当時の順慶にしてみれば生き残りを賭けた苦悩の日々だったに違いありません。
この『洞ヶ峠』のおかげで順慶は生き延びています。
それを考えると、呆れられようが笑われようが生き残った者こそが勝者とも思えます。
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2014.10.05 Sun 23:48
カテゴリ: 講座・講演
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