07/ 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31./09

第61回『信長公記』を読み解く 

いろいろ忙しく記事を書けずにいました(大汗)。
さて、ついに本能寺の変、最終シリーズに入りました。

初回の今回は史料から見る本能寺の変ということで、いろいろな史料がどのように記述しているかがメインでした。
そのなかで川角太閤記が気に入りました。
まず丹波亀山城を出陣したあたりで光秀が、
自身乗り廻り、人数三段に備へ、此の人数何ほどあるべく候や、斉藤内蔵助(利三)に仰せ聞かせ候へば、内々御人数のつもり一万三千は御座あるべしと見及び申し候と、御請け申し上げ候事
このことから、謀反を決断しながらも重要な謀反要素である手勢の数をまだ光秀が把握していなかったことになります。謀反の決断がそれだけ突然(光秀自身も思わぬ以上に)だった気がします。ふつう計画的に謀反を起こすならば、手勢の数の把握は必須条件だと思いますから。

その斉藤利三は明智軍の先鋒として京に入りますが、入ったところで利三が下知した様子は、
其の組々、思ひ思ひに、本能寺の森、さいかちの木、竹藪を、雲すきに目あてにせよ。夜はその通りまでを目当てにすれば、踏みちがへる事もやありなん。其の分心得候へと、調子高に下知仕まはりたると聞こえ申し候事
とあります。
ここから分かることは、当たり前ですが本能寺には目印になる森が存在したこと。また、目印になるわけですから、本能寺の変周囲には目立つ森がなかったこと。
京の町は五目のように東西南北の道がまっすぐなので、目印を指示すればわかりやすかったのでしょう。

明智軍の人数の把握、先鋒としての下知、斉藤利三の重要性が浮かび上がります。
スポンサーサイト
2014.08.10 Sun 09:46
カテゴリ: 講座・講演
comment(0) | trackback(0) | 記事編集

PAGE TOP

« 第62回『信長公記』を読み解く

第60回『信長公記』を読み解く »

コメント

PAGE TOP

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

PAGE TOP

トラックバック

トラックバックURL
→http://isekoku.blog79.fc2.com/tb.php/224-ce0aa366
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

PAGE TOP

 | h o m e |