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第56回『信長公記』を読み解く 

2月は体調を崩してもうなんだかな~と過ぎてしまいました。

さて、今回の講座は甲斐征伐③で勝頼の最後に関してです。
ですが今回私が気になったのは、勝頼というよりその夫人についてです。

勝頼は信長の養女(姪)を最初の妻に迎えました。これは信玄と信長が蜜月だった頃の話です。彼女は信勝を生んで亡くなっています。彼女亡きあと、武田・織田の同盟関係の婚姻は、松姫と信忠の婚約と続くはずでしたが、結ばれることなく破談となります。
勝頼が二番目の妻として迎えたのが、最後をともにすることになる北条氏(桂林院)です。
彼女は武田・北条の同盟強化として天正五年に勝頼に嫁ぎます。ところが翌年、越後で御館の乱が起こります。ここで勝頼は北条氏から養子に出されていた景虎を敗死に追い込んでしまいます。
結果、武田と北条は手切れとなり、武田家滅亡の大きな原因となります。
手切れとなれば北条氏は実家に帰るところ、彼女は帰ることなく甲斐に留まります。
天正十年の武田家滅亡においても、勝頼から実家に帰るよう諭されても拒み、勝頼とともに最後を迎えました。
この時、十九歳。

ここで思うのは彼女の嫁ぎ先・勝頼に対する姿勢とともに、北条家についてもです。
北条家といえば、小田原評定で滅亡してしまったせいか人気がありません。ですが、戦国時代にあって血で血を洗うような親子や兄弟で殺し合ったり、対立が生じたという話は寡聞にして聞きません。
有名な戦国大名家で親子・兄弟の抗争がないという稀有な存在だったのではないかな~、と思います。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2014.03.04 Tue 22:59
カテゴリ: 講座・講演
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