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第53回『信長公記』を読み解く 

天正十年を迎えて、佳境に突き進む講座内容です。
今回は雑賀の内紛についてです。
雑賀一揆、雑賀一向一揆と呼ばれていますが、その内実はやはり集団である以上、協力・協調だけでなく反目・対立が存在します。
雑賀の場合、鈴木氏と土橋氏の対立が主題になります。
鈴木孫一で有名な鈴木氏ですが、一方の土橋氏はあまり有名ではありません。やはり敗者というものはスポットライトが当てられないものです。

天正十年(1582)正月下旬、鈴木孫一が土橋平次を殺害したことを契機に、鈴木氏と土橋氏の衝突が勃発します。ちなみに日にちに関しては、信長公記が正月二十七日、宇野主水日記が正月二十三日です。日記は当時紀伊鷺ノ森にいた本願寺顕如の祐筆宇野主水のもので、やはりこちらを信用したほうが良いのでしょう。
鈴木孫一は平次に父を殺されており、信長の上意を得て鈴木氏排除に動きます。
さて、父若太夫を殺された平丞・平次(子)らの兄弟は要害に立てこもりますが、織田家の後援がある鈴木氏側の勢力が大きく、ついには落ちていくことになります。
没落した土橋氏ですが、のちの本能寺の変が起きた時には雑賀に復帰しています。
雑賀内部の内紛ですが、鈴木孫一により雑賀衆が統制されたことで信長は長宗我部氏対策に有力な手駒を得ました。
それは雑賀の水軍です。
この雑賀水軍はかつて毛利水軍と協力し、織田水軍と何度も干戈を交えています。鉄張船で有名な第二次木津川河口の戦いの前、伊勢から大坂表に移動中の滝川・九鬼の水軍とも戦い、鉄張船の前に敗北しています。
織田家に組み入れられた雑賀水軍は、本能寺の変直前、信孝の四国遠征軍を守って四国に渡海する予定でした。

さて、今回の講座で気になったのはこの雑賀の内紛もですが、もうひとつあります。
それは安土での正月参賀の面々についてです。
息子の信忠や信雄、弟信包の名前があるのに信孝の名前がないのです。
あるいはすでに四国云々の話があったかもしれませんが、もしかすると武田氏討伐の関連かもしれません。武田氏討伐の引き金となる木曽義政の寝返りに、信孝が一枚噛んでいたのです。
といっても、どなたが書かれた論文か失念してしまいましたが(汗)。確か、日本歴史かなんかのコラムのような中で触れられていたと思うのですが・・・。

今度探してみます。そういえば、論文資料などのまとめが止まったままです(大汗)。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2013.12.04 Wed 18:36
カテゴリ: 講座・講演
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