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第48回『信長公記』を読み解く 

ブログが講座のことしか書いてないな、と忸怩たる思いを抱く今日この頃です(汗)。

さて、今回は信長への左大臣推任と譲位問題についてです。
話の流れとしては、洛中馬揃えに感嘆した朝廷が、無官状態の信長(内大臣を辞しています)に左大臣任官の話を持ち込みます。
良いもの見せてくれたお礼、そして無官状態の信長を朝廷に引き込もうとしたのでしょう。
これに対して信長は、天皇の譲位の暁に官位受諾と返答します。
信長の返事に朝廷は大喜び。信長が官位受諾したうえに朝廷の衰微で難しくなっていた天皇譲位が可能になるからです。この点では公武対立・公武協調などいろいろ考え方がありますが。
しかし、この天皇譲位と官位受諾の話はすぐに流れてしまいます。
方位が悪いからです。
天皇を継ぐことになる誠仁親王はこの時二条御所にいます。しかし、二条御所から見て内裏は北北東にあり、この方角が金神という極悪なもの。ということで延引となります。
譲位のときに受ける、と言いながら信長は、方角を理由に譲位の延引ということで官位の受諾をうやむやにしてしまったんですね。

この信長が官位上昇に価値を認めていない態度については、信長は朝廷を超越した地位を目指していたなどの考え方があります。
昔は自分もそんな風に思っていましたが、最近は果たしてそのように思い描いていたのか妙にしっくりきません。中世の破壊者というイメージからすれば合うのですが、どうにもそちらのほうが信長に合わない気がしています。これこれという理由があるわけではないのですがね。

この信長と官位の問題は本能寺直前の有名な三職推任で再び浮上します。信長はあの最後の上洛でどのような返答を考えていたのでしょうか?
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2013.07.01 Mon 00:01
カテゴリ: 講座・講演
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