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第41回『信長公記』を読み解く 

今回の講座は、二男信雄の折檻と荒木一族の族滅です。

いやあ、今回の後味の悪いこと悪いこと。講座がどうのではなく、この荒木一族の最期は読んでいて溜息ばかりの内容です。

簡単に流れをまとめると、
1・荒木村重が毛利家の援軍を求めて有岡城を脱出し、尼崎に移る。
2・伊丹城内で内応者が出て、有岡城の荒木勢が追い込まれる。
3・明智光秀の計らいで、尼崎・花熊などを開城すれば助命の条件を提示。
4・有岡城開城。重臣らが村重説得に尼崎に。
5・村重説得拒否。説得に赴いた重臣ら大半が逃亡。
6・荒木一族など主だった者(婦女子を含む)数百人が処刑される。

説得に赴いた重臣たちが逃亡したことは知りませんでした。
光秀が開城交渉をまとめたのは、村重の息子に娘が嫁いでいた(娘はすでに引取り済み)関係ゆえでしょうが、説得役の重臣ら(日頃仲の悪い嫁さんのために戻った者以外)が逃げたとあっては光秀の面目は丸つぶれでしょう。
信長も処刑命令を出すほかないでしょう。

しかし、村重の説得拒否がちと理解しがたいところがあります。
尼崎・花熊の開城がすなわち村重の首を意味するならともかく、もはや有岡城開城、毛利家の援軍も望み薄な状況でこのふたつの城の開城を飲もうが飲むまいと村重の命運は尽きたと思うのですが、なぜに拒否し、一族族滅の運命を選んだのか?
そこまで信長がするとは思っていなかったのか、あるいは村重なりの意地なのか。

レジュメに「荒木一族の最期を異様に生々しく詳述 彼らへの哀憐の情か」と書かれているの見て、なるほどなあ、と嘆息。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2012.12.06 Thu 23:45
カテゴリ: 講座・講演
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