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第3回松平シンポジウム『捨城を拾う』 

先日、愛知県安城市で開かれた第3回松平シンポジウム『捨城を拾う』-桶狭間の戦い前後の三河―を聞きに行ってきました。

桶狭間前夜の松平氏(村岡幹生氏)、今川氏と桶狭間の戦い(大久保俊昭氏)、織田信長と桶狭間の戦い(下村信博氏)、松平元康と桶狭間の戦い(平野昭夫氏)の四氏の発表がありました。
桶狭間の戦いそのものではなく、戦い前後の様子についての発表です。
聞いていて興味深かったのは、当時の元康の立場についてで。
元康は松平一族の総領、一族を統べる立場にあると思っていましたが、そうでもないらしく桶狭間の戦いには岡崎の者と一部の一族だけしか指揮しておらず、あくまで松平一族の中の有力な一員だけだったようです。
そしてもう一点。
桶狭間以前の今川義元の動きです。
義元の桶狭間での目的については、上洛説・尾張侵攻説・国境安定説などがあります。その中で疑問になるのが今川義元の動きです。いずれの目的にせよ義元が尾張国内に調略の手を伸ばしている様子がないのです。
織田一族の中には信長の弟信勝をはじめ、信長に反抗する者が桶狭間前後にでていますが、多くが美濃の斉藤義竜と結んだりしています。ところが今川と手を結んで、というのは信秀没後の鳴海の山口氏くらい。その後はさっぱりありません。
調略するまでもない、と義元が考えていたかもしれませんが、かといって調略がまったくないのは?マークです。

この織田家に対する調略、あるいは斉藤家などの近隣諸国に対する外交などについて明らかになれば、義元の目的もはっきりするのではと思います。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2012.11.24 Sat 01:17
カテゴリ: 講座・講演
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