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第40回『信長公記』を読み解く 

いやー、ブログの更新を怠っていました。

先月の講座には急用で行けず、初の欠席です。まあ、レジュメだけは取り置きをお願いして手に入れましたが、やはり、桐野さんの講座を聞けなかったのは残念。

さて今回の講座内容は、明智光秀の丹波攻めと信康事件です。
信康事件といえば、信長の強要に家康が泣く泣く嫡男を切ったと思われていたのが、最近の研究により、実際は家康・信康父子の間の確執、信康の動向(信康派=岡崎衆)が原因と推察されるようになりました。

面白いのは良質な史料である信長公記でも、家康の覇権が確立されていくにつれ、信康事件の記事が変遷していくことです。
慶長頃の記事では「三州岡崎三郎(信康)殿逆心之雑説申候」が、慶長後期になると「三州岡崎の三郎殿不慮ニ狂乱ト云」になり、寛永の頃になるとまったく信康事件の記事が消えます(笑)。
逆心の噂は聞き捨てならない表現です。とてつもなく政治的な話・謀反が、不慮(突然)狂乱と信康の精神状況の話にスケールダウンになってしまいます。
とはいえ、家康が岡崎入りした八月三日の翌日には信康を岡崎から追放し、六日後にはさらに遠方にと幽閉し、翌月九月十五日には切腹と動きが素早いです。
信康とその側近・岡崎衆とを素早く隔離して幽閉。家中の混乱を鎮めてから信康処断に動いたと思われます。とても信康の精神云々とは思えません。

信康公記では『消筆』がある一方で、徳川側史料の当代記が逆に信康の性格だけでなく父子の確執や信長に対する反発も書いているのもまた面白いです。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2012.10.30 Tue 22:58
カテゴリ: 講座・講演
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