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第35回『信長公記』を読み解く 

初校・再校の苦行(笑)を終え、ホッとしています。
さて先日、桐野作人氏の講座に行ってきました。

今回はズバリ安土城天主は倒壊したのか否か? についてです。
安土城天主が天正十年(1582)の本能寺の変において焼失したことは有名ですが、燃えた天主は二代目ではないか? というものです。

と言いますのも、数年前に和田裕弘氏が『松雲公採集遺編類纂』(江戸期の前田家の殿様が集めた史料集)の中の天正六年五月十二日の記事に、
アツチ之城天主タヲレ畢
という一文を見つけられたのです。
なぜ倒れたかといえば、この年5月中旬は、えらい大雨のようで京都や奈良で大洪水になっています。いろいろな史料にも、この大雨について記述されてます。この大雨で安土城天主もやられたのでは、との趣旨です。
しかし今のところ、安土城天主が倒れた、との史料はこれだけで、ほかに裏付ける史料がなく、?マークが付けられた状態とのこと。
ただ、この年の正月に商人が安土に行った時に天主を見たとあったり、安土城の着工から天主完成(翌年信長の天主入りの記事がある)までが長過ぎる(逆に二代目と考えると自然)、との指摘もあります。
個人的には、この天正六年の正月の催しがやけに詳しく信長公記に書いてあるので、正月の催しとお披露目式を兼ねていたのでそうなったのかな、との感触があります。前後の年は、周辺の戦況という外的要因もありますが、ここまで書かれていません。

話を聞いていると、やはり倒れたのかなあと思う一方(時間の問題が特に)、安土城天主が倒れたのならやっぱ何か史料に残るよなあ、との疑問もぬぐえません。
あるいは、山本勘助のようにどこかに史料が眠っているのかもしれません。

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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2012.05.31 Thu 00:44
カテゴリ: 講座・講演
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コメント


天主が倒壊したかどうかは分かりませんが、一次史料で近江国について記録している史料は数少なく(確認されているもので)、安土城について記されている可能性のあるものは皆無ではないでしょうか。大和の記録ですが、「多聞院日記」なら噂を記していてもいいのですが、記主は、どうもその時は他出していたようです。残るは「兼見卿記」くらいですが、兼見(兼和)は洪水の被害でそれどころではなかったようです。
【2012/07/10 22:14】
URL | ハンク #-[ 編集 ]
ハンクさんへ
ハンクさん、こんにちは。

そうなんですよねえ、京都や奈良がこの時の大洪水で大きな被害を受け、公家や寺社が近江の安土どころの話ではなかったとは思いますが、かといって、信長の城の天主倒壊について一言もない、というのも釈然としませんし、畿内各地の洪水被害の中に埋没してしまったとも思えますし、どうにも私みたいな素人には想像・推測の域になってしまいます。
まあ、それが歴史の楽しみなのかもしれませんが(笑)。
【2012/07/11 15:29】
URL | 尾山 #5Z3bxbvs[ 編集 ]

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