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第18回『天正記』を読む 

書きたいことは多々あれど、暑さで気力がでない今日この頃です。

さて、今回は天正記を読むの最終回、といっても天正記についてではなく、石谷家文書についてです。
以前にも書いた気がしますが、この石谷家文書で本能寺の変の真実が明らかになったわけではないんですね。ただし、本能寺の変以上に大きな影響を与えたのが、軍記物である南海通記への評価です。

南海通記は四国の戦国時代について江戸時代に書かれたものです。
四国の戦国大名はことごとく没落したため、一次史料が少なく、歴史研究は後世の軍記物に頼らざるをえない状況にありました。とはいえ、軍記物の信頼度は低く見られていました。
軍記物の記述を使うには、ほかの史料と比べて信用できるかどうか確認しなければなりません。
ここで問題となるのが、軍記物のみの記述の場合です。
南海通記には、天正十年正月に信長と長宗我部元親のやりとりがあったとあります。しかし、これがほかの史料にはない。
ところが、今回の石谷家文書でこの記述が裏付けられます。
後世の軍記物だけにあった記述が、です。
これによって南海通記の記述に対する信用度が上がったわけです。
かといってほかの部分まで素直に信用できるかといえば、それはまた別の話。
なんとも難しい話です(汗)。

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2016.07.05 Tue 23:04
カテゴリ: 講座・講演
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