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第17『天正記』を読む 

今回は九州攻めについてです。

九州攻めは秀吉の圧勝というイメージだったのですが、圧勝の下は薄氷だったようです。
フロイス日本史によれば、
時あたかも七月にあたり、日本では暑気厳しい折で、降り続く雨のために(全軍は)幾日もそこに為すすべもなく膠着状態に陥り、兵士の中には病人が続出し、いっぽうこうした悪天候で五畿内からの食糧の海上輸送は困難となって、餓死者が連日後を断たぬ有様であった。(中略)彼らは大いなる飢餓と苦難に陥っていたから、絶望のあまり暴動ないし謀反を起すことが案ぜられたのである。後刻、我らが確実に知ったところによると、もしも薩摩の国主が、あと五日間、関白の許に赴くのを遅らせていたならば、関白は軍勢を撤退させ、(自らは)馬を馳せて帰ったであろうし、彼の面目は丸つぶれとなり、その名は信用を失墜し、敵の手であらゆる橋は破壊され、(撤退に際し)少なからぬ危険に曝されたことであろう
とあります。
秀吉は大軍で攻めたがゆえに、その兵粮事情がひっ迫するとその影響は大となったようです。
あと五日、島津の降伏が遅ければ撤退の事態になるほどとは。
大軍の長距離遠征が兵粮事情のひっ迫で無残な失敗に終わることは、歴史にたくさん事例がありますが、この九州攻めがその一例になりかねないところにあったのは、意外でした。

あと島津貴久の肖像を見ていて気になったのですが、あの肖像画って中国の影響なんですかね。
椅子?に座っている肖像画はめずらしいと思うので。
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2016.05.30 Mon 22:35
カテゴリ: 講座・講演
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