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第7回『天正記』を読む 

先月から続く猛暑にフラフラ状態です。
本来なら講座の日当日なり、すぐに書かないと、と思うのですがなんともかんとも。

さて今回の講座は賤ヶ岳の戦い・2です。
羽柴秀吉と柴田勝家の調略・外交がメインになります。
秀吉は昨日までの敵である毛利家との和平交渉を進め、勝家の後方に位置する上杉家に手を伸ばし、また勝家寄騎の武将たちに調略をしかけます。また徳川家康とも好を結びます。
一方の勝家は毛利家・将軍足利義昭と手を結ぼうとし、また四国の長宗我部家とも連携を取ろうとします。さらに近江南部(かつて勝家が治めた地域も)に調略をしかけます。

これらを色々と講座で聞いていて、気になった点があります。
それは勝家と上杉家との関係です。
秀吉の背後に位置する毛利家は、秀吉や勝家からの誘いの手がありました。ところが、勝家の後方の上杉家には秀吉からの手しか見えません。勝家が秀吉と雌雄を決するべく南下するならば、後方の上杉家とは和平を結んでおきたいところ。劣勢にある勝家からすれば、上杉家に備える兵さえものどから手がでるほど欲しいはずです。実際、賤ヶ岳の戦いに越中の佐々成政は参戦できていません。
もし、勝家が上杉家との和平に成功していたら・・・。これは拙著の『織田戦国志』を読んでみてください(笑)。

上杉家は、秀吉から勝家の背後を突けば能登・越中を渡すとの申し出を受けていました。しかし、上杉家は動きませんでした。毛利家同様、様子見に徹したのでしょう。旧武田領をめぐる北条家・徳川家との争いも大きな影響があったのは確かですが、まったく動きがないというのも、もしかしたら見えないだけで勝家からの働きかけがあったのかも知れません。

にしても、秀吉が四方八方に調略・外交の手を伸ばしているのに対し、勝家はどこかのんびり感が否めません。滅びた勝家の書状は破棄された可能性もあります。しかし、織田家を乗り越えようとする秀吉と織田家の枠のままの勝家の差が、この調略・外交という戦の前で戦況が大きくひらいたのではないかと思わずにはいられません。
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2015.08.13 Thu 02:38
カテゴリ: 講座・講演
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