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第45回『信長公記』を読み解く 

今回は、本願寺十年戦争の終結と教如の諸国秘回です。

大坂退去後、敗れたとはいえ本願寺の影響力や経済力は健在で、逆に信長との和平が成立した以上、本願寺との友好関係は大っぴらにできるわけです。となると、本願寺と縁戚関係を結んで自家の繁栄をと思うのが人の常、公家さんの中には顕如の息子に娘をねじ込もうとする人も現れるわけです。

誠仁親王の愛妾に典侍という女性がいました。
この人は冷泉為益の娘ですが、誠仁親王のもとから顕如の次男顕尊のもとに嫁ぎます。信長からの申し出があり、誠仁親王は嫌がったようですが、受け入れます。
相手の顕尊は養子に出された興正寺を継いで脇門跡になっています。
冷泉家にしてみれば、教如が顕如との対立で後継者から外れた以上、後継者の第一候補の次男顕尊に娘を嫁がせれば冷泉家の安泰繁栄は間違いなし。
ちなみに冷泉さんの娘の一人は山科言経に嫁いでいます。言経の父言継は信長と親しく(当時はすでに没)、冷泉家は山科家を介して信長にも近いわけです。逆を言えば、山科家も本願寺の財力を冷泉家を介して当てにできるわけです。
となると、この信長の申し出がどこから出てきたかはおのずと分かるというもの。
あるいは、信長が本能寺の変に倒れなかった場合、本願寺は東西分裂もなく、准如が継がずに顕尊が継いでいたかも知れません。
そうなれば冷泉家はウハウハだったんでしょうね(笑)。

ですが、この時の一件が祟ったのか、本能寺の変数年後に冷泉家と山科家は勅勘をくらってしまいます(汗)。
件の典侍さんと顕尊の間には三子が生まれています。疑いなしの政略結婚ですが、夫婦仲は良かったようです。

本願寺の親子喧嘩の影で公家さんの野望があったわけです。
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テーマ: 物書きのひとりごと
ジャンル: 小説・文学

2013.04.17 Wed 00:16
カテゴリ: 講座・講演
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