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「本能寺の変を読み解く」第四回 

さて、今日は桐野作人先生の講座「本能寺の変を読み解く」の紹介です。
名古屋の栄中日文化センターで月一で開かれています。去年の前半の関ヶ原から受講しております。
一次資料を多用して論を展開されており、まさに「読み解く」講座です。一次史料にトンと疎かった自分が、「一次史料って面白いじゃねーか!」と何度も感じることがあります。角川文庫の信長公記が欲しくなります。でも、ないんですよねえ(泣)。

さて、今回は神戸信孝についてでした。
本能寺の変とその後の賎ヶ岳の戦いを語る時には、欠かせない人物です。特に、本能寺の変について、明智光秀の動機に四国問題がクローズアップされてからは、いわば、時の人です。

講座の内容全部を書くのは問題かと思いますので^^;
その中で、ひとつ気になった一次史料について、

「神戸慈円院正以書状」 神宮文庫所蔵文書 三重県史 資料編中世I下
抜粋
~中略~、次此方三七様(神戸信孝)連々御望候四国へ、御朱印にて当郡之名主・百姓六十をさかい、十五をさかひにて、悉御越候、諸牢人亀山殿おや子(関盛信、豊盛)、千草方、阿野、草沢、野呂、北方萩原殿、栗原殿、桑名伊東、三之尾方、伊賀衆、甲賀衆七八百、さいか(雑賀)衆千計、~中略~
五月廿一日(天正十年)
*()内は注記

この文書は、神戸(三重県鈴鹿市)の慈円院が伊勢の内宮の神官宛に送った書状です。
前段の中略には遷宮についてのことが書かれ、後段の中略には信孝が安土で信長などから軍資金や兵糧などを送られたとあります。

この青文は、四国遠征に際し、領地が二郡しかない信孝が15歳から60歳の農民を根こそぎ動員し、さらに伊勢の牢人衆、伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆を集めて軍勢としたことが書いてあります。本能寺の変で、信孝の軍勢が簡単に瓦解してしまったのもさもありなんと思う雑多なものです。
さて、この史料をと思った理由が文章前半の「御朱印にて」という文言。当時の信孝はまだ朱印状を出せるほどではなく、信孝の軍勢動員はすべからく御朱印、つまり信長の命令によって編成されたのでは、との桐野先生の見解でした。

なるほど~、と頷いていました。これなら、自身の領地の動員に加え、牢人衆、さらに他国衆までも信孝が編成できた理由が分かります。
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テーマ: 本の紹介
ジャンル: 小説・文学

2009.01.23 Fri 12:50
カテゴリ: 講座・講演
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