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第5回三国志徒然列伝 諸葛緒 

諸葛緒。
この名前にピンときた人は三国志マニアと言えるでしょう。
蜀の諸葛亮は言うまでもなく、呉の諸葛瑾。その子の諸葛恪、そして魏の諸葛誕は知られています。
しかし、この諸葛緒はまず知られていないと思います。
見た覚えのある方でも、どこだったか?となると思います。
それは鍾会と鄧艾による蜀討伐の際です。
この時、諸葛緒は雍州刺史として兵を率いて蜀討伐に参加しますが、鍾会の讒言によって囚人とされて送り返され、その兵を鍾会に奪われます。しかしながら、鍾会がのちの反乱失敗で諸葛緒の汚名は晴れたのか、晋王朝において出世しています。
では、諸葛緒は蜀討伐だけかと言うと、そうでもありません。
鄧艾伝には、兗州刺史であった鄧艾の配下・泰山太守として登場し、毌丘倹の反乱で戦功をあげています。また鄧艾が鎮西将軍・都督隴右諸軍事として対蜀戦線に赴くと、諸葛緒も雍州刺史として赴任しています。恐らく鄧艾の引き立てなり関係があったのでしょう。鄧艾配下として諸葛緒は対呉戦線・対蜀戦線で地味に活躍していたわけです。
こういった有名人の脇にいる人物が私の好みです。
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2017.09.14 Thu 22:15
カテゴリ: 三国志
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再始動 

3カ月ぶりのブログです。
深く考える出来事がありまして、ブログから遠ざかっていました。
再始動です。
2017.08.21 Mon 23:07
カテゴリ: 雑記
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佐藤大輔氏の遠行の影響 または老後計画とE計画 

3月下旬の佐藤大輔氏(以下、御大)の遠行の影響は大きかった。

仕事が手につかない、ぼーっとしている、とかは全然ないんです。
ただ北米大陸やカリブ海での日独対決、宇宙大国日本の隕石の軌道迎撃作戦、三州公の突撃、皇国の運命、連邦の旗、その結末を見ることはできない。
新刊続刊をほとんど諦めていたとはいえ、作者が亡くなって100%読むことができなくなるのでは、やはりずっしりとくるものがあります。下手に新刊を4冊残して逝ってしまったとなればなおさらです。
喪失感というか、失望感というか、飢餓感というか。
そうですね、飢餓感が一番しっくりくるのかな。
この餓えを、この渇きをどうすればいいのか、と。
グダグダと書き連ねたいところです。

・・・とまあ、これは御大のファンとしての心情になります。

自主出版を考えてのE計画は、本業のワラジが忙しく手がつかない状況です。
如水後、長宗我部元親のIF物を考えていました。
本能寺の変をちょこちょこいじって、元親vs信長です。しかし、どーもうまくしっくりこない、最初のつかみが掴めませんでした。どうしたものかと考え、いろいろほかのIFを考えたりもしました。
そのうち本業のワラジが忙しくなって手が付かなくなりました。
私にとっての小説とはなんぞや、っと哲学的に考えたり、老後の趣味になるのかー、あるいはほんの少しずつでも書いていくか、なんてものおもいにふけったものです。

そんな時にですよ。
御大の死は。

ブログで書いたかもしれませんが、私が初めて小説に手をつけたのは中学3年の時でした。
田中芳樹氏のアルスラーン戦記の続刊、いつになったら出るんだー、と書店の新刊案内を眺めたものです。今みたいにインターネットでサクッと分かる時代じゃありませんからね。本当良い時代になった(齢の流れ・・・)。
そんな時に同級生(彼はロードス島戦記が好きでした)と小説書くか―、って話になり、書いたのが始まりです。

御大の続刊は望めません。
ならば、自分の手で餓えを満たし、渇きを癒すしかありません。
中学3年の時の自分と同じように。

なにより御大は52才で逝ってしまいました。
そこで考えてしまうのは、自分が52才までに何が書けるのか、どれだけ書けるのか、ってことです。

気張りたいと思います。
2017.05.11 Thu 20:44
カテゴリ: 雑記
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さよなら青春 

訃報を知る。

佐藤大輔氏を知ったのは、レッドサンブラッククロスの1巻でした。
名前の格好よさ、太平洋戦争とは違う架空世界の日独決戦。氏の作品にのめりこみました。
皇国の1巻2巻同時刊行にはとても興奮したのを覚えています。
ノベルズの帯にある来月刊行案内に、続刊があるかどうかを調べて、
なければ落胆し、あれば待ち遠しくしていました。

新刊がでなくなり、文庫化ばかりで新刊を諦めていました。
でも、今月の文庫本に新刊案内があって嬉しく思っていました。


ご冥福をお祈ります。
今日ばかりは飲めない酒を飲みたい。

さよなら大ちゃん。


2017.03.26 Sun 19:59
カテゴリ: 雑記
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第8回『織田信長文書』を読み解く 

今回の講座は、永禄九年(1566)の信長の上洛計画とその頓挫についてです。

将軍を目指す足利義昭は、各地の大名に上洛を求めて工作を活発にします。
その中で信長がいち早く反応します。
結果、当時信長と抗争をしていた美濃の斉藤氏との間で、矢止め、和平工作が義昭によって行われます。ところが!
永禄九年閏八月十八日付の甲斐国某宛、氏家直元等連署状によれば
去月廿九日織上(織田上総介=信長)当国境目へ出張候
とあります。義昭の矢止めで和平したのに、信長は美濃へ兵をだしたわけです。斉藤氏側の宣伝(織田が悪い)かとも思うのですが、同月廿六日付足利義秋(義昭)御内書では、
就尾州矢止儀、人質事同心感悦処、信長乱入儀驚入候、雖然尚参洛之事対尾張守(信長)申遣之間、最善之筋目無相違様令馳走者可為神妙、猶信恵可申候也
と義昭側でも信長の行動に驚いています。と同時にまだ和平工作の続行、信長の上洛を諦めてません。また斉藤氏は人質についても前向きな返答を義昭にしていることには驚きです。どうしても、上洛話となると義昭と信長といった、二者の外交にばかり目がいきますが、なかなかその周囲の外交もまた興味深いものです。
2017.03.09 Thu 23:53
カテゴリ: 講座・講演
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